十二単(じゅうにひとえ)は部屋を与えられた女房が、目上の方の前に出る時に着た正装です。長袴をはき、単、五衣、打衣 表着、唐衣を着て、裳をつけて、桧扇(ひおうぎ)を持ちます。
十二単と申しますのは通称です。正しくは、昔は、「女房装束」、「裳唐衣」、「唐衣裳姿」などと呼ばれておりました。現在の正しい呼び方は、「五衣、唐衣、裳」といいます。そして特に皇后陛下の十二単は、「御五衣、御唐衣、御裳」と申し上げます。
ではどうして十二単と呼ばれるようになりましたかといいますと、初めて十二単という言葉が出てまいりましたのが、「源平盛衰記」の中で、壇ノ浦に身を投げる建礼門院平徳子の装いを、「弥生のころなれば藤がさねの十二単を召されたり」とかかれております。裳唐衣の正装ではなくてたくさんの衣装をお召しになられることを、十二単と呼ばれたのではないかといわれております。十二単と申します響きの美しさから皆様に好んで用いられるようになったようです。 女房装束の原型は「養老の衣服令」に規定された女子の朝服です。宇多天皇の寛平六年(894年)遣唐使を廃止いたしました頃より日本の風土や、生活様式に合わせた装いが確立されてゆきます。いわゆる国風化、あるいは和様化ともうしまして装束の形や寸法が次第にゆったりとしてゆきました。奈良時代の裙の下にはいておりました下袴が長大化して長袴となり、背子という袖なしのチョッキのような衣装が衿をつけ大きく仕立てて袖をつけて唐衣となりました。 |
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