細長(ほそなが)は、袿または表着の上に重ねて着るもので、 『枕草子』一二九段「などて、官得はじめたる」に「衣の中に細長は、さも言ひつべし」と書いてあるところから、身幅が狭くて、裾の長い装束だったと推測されています。
細長という衣装は、いろいろな説がありまして、はっきりしたことが不明です。体験所では、世間一般に普及している内容にて、提供させていただきます。 どうして細長というようになったたかと申しますと、カザミと混同した可能性が高いようです。 1つには、時代不同歌合せという後鳥羽上皇(新古今和歌集を作った人)が選ばせた歌合せで、平安時代前期から中期の古い人と、当時の人を右と左に分けて歌を比べた歌合せを絵巻にしたものが、鎌倉時代に盛んにつくられましたが、この絵巻の中で小野小町がこの姿で描かれています。これを江戸時代の坪井義智(つぼいよしちか)が、細長だと言っています。 また、承安の五節絵巻の模写にこのカザミが書かれていましが、それを細長という学者がいて、それらが積み重なって細長といわれるようになりました。葵祭のカザミの衣装と同じで、カザミと細長が混同しています。 かざみには、二つの着方がございます。帯を締めるのが、正式な着方という説がございまして、帯を締めないのは、宿直(とのい)姿という着方で、小野小町は、この着方をしていたようです。 細長は源氏物語の中で、高貴な女性たちが、着用しています。 若菜の巻で、桜の季節に光源氏の屋敷で行われたけまりの時に女三宮が、桜の細長を着て立っていたのを柏木がかいま見る場面が有名です。 女楽の時に明石の上が、細長と、小袿と裳を着ている場面があります。 和琴に、大将も耳とどめたまへるに、なつかしく愛敬づきたる御爪音に、掻き返したる音の、めづらしく今めきて、さらにこのわざとある上手どもの、おどろおどろしく掻き立てたる調べ調子に劣らず、にぎははしく、「大和琴にもかかる手ありけり」と聞き驚かる。 葡萄染にやあらむ、色濃き小袿、薄蘇芳の細長に、御髪のたまれるほど、こちたくゆるるかに、大きさなどよきほどに、様体あらまほしく、あたりに匂ひ満ちたる心地して、花といはば桜に喩へても、なほものよりすぐれたるけはひ、ことにものしたまふ。 色々な場面で、細長が出てきます。 |
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