平安時代は身分の高い方ほどくつろいだ衣装を着るため、中宮の装束は小袿(こうちき)でした(裳唐衣のときもありました)。長袴、単、五衣、表着、小袿を着て、桧扇を持ちます。(夏は「蝙蝠(かわほり)」という扇をもちました。)
紫式部が若作りして悔やんだ、敦良親王(あつながしんのう)の、御五十日祝のとき、中宮彰子は「紅・紅梅・萌黄・柳・山吹」という5枚重ねの袿に「えび染織物」の上着を着て、そのうえに「柳の上白」の小袿を着ていました。
晴れの場で紫式部などの女房たちが、十二単を着ているような場面でも、中宮という身分の彰子は、「小袿」でよかったのです。 小袿は、表と裏の間に中陪という裂地が入って衿、袖口、裾がオメリとなって三重になっております。そして晴れの場ですから色のコーディネイトはとてもおしゃれをされました。 平安時代の日記や、物語、随筆のいたるところに準正装の「小袿」の名が出てまいります。また、小袿を着る一例で、鎌倉時代初期の九条道家の日記に、婚礼の花嫁が、上に蘇芳の小袿、下に白袿を八領を重ねて、濃袴をはき、その下には小袖を着ていることがかかれております。 |
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