束帯(そくたい)

男性用装束

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束帯(そくたい)には、文官ならびに三位以上の武官がお召しになる「縫腋(ほうえき)」と、四位以下の武官のお召しになられる「闕腋(けってき)」の二種類があります。
束帯は宮中における正装で、武官の他、文官であっても中務省の官人、納言、参議以上で勅許を得たいわゆる公卿には特に帯剣が許されました。
婚礼では、縫腋束帯の平緒、太刀をつけた姿をしていただきます。

束帯について

大化の改新(645年)から平安時代末まで、大宝元年に制定された「大宝律令」に基づいた儀式服が、用いられました。

大宝元年「大宝律令」が制定され、その中の「衣服令」において、わが国で始めての儀式服が制定されました。

儀式の時には「礼服」、普段日常に朝廷に出仕する時には「朝服」、位を持たない官人や庶民が、朝廷の公事に奉仕する時には「制服」と制定されました。

しかし「礼服」を作るのには費用がかかり、個人負担となると儀式に欠席者があいついだため、741年に「礼服」は即位式だけになり、823年には、儀式の時は日常の「朝服」となりました。これが後の「束帯」の起源です。

隋、唐の模倣である唐様の文化は、日本の文化に融合されて、和様化と変化していき、894年遣唐使の廃止によって、和洋化、国風化が強まり、朝服も宮廷の実力者が儀式の様式美を追い求めるにつれ、座った時の美しさや威厳を出す為、袖巾や身幅が広く、大きな強装束の束帯へと変化してゆきます。

束帯は、朝服から発達して、上は天皇から、朝議に際して着る正装となり、現代に至りその形式を伝えて、明治天皇以降は、神事や即位の大礼に用いられる正装になりました。

「束帯」とは、石などの飾りのついた皮のベルトで、表着(うわぎ)などを束ねて着るところから呼ばれました。 「論語」公治長第五に「赤や束帯して朝に立ち、賓客と言わしむべし」が、語源のようです。

貴族の住まいは、寝殿造りで、板の間です。冬に寒さが厳しい為、重ね着の必要性から複雑な重ねの衣服を美しく威儀を整えて身につけるための技術が必要とされました。

2名のものより着付けますこの技術を「衣紋」といいます。

衣紋は、後三條天皇の孫で、「花園左大臣」(はなぞののひだりのおとど)と呼ばれた源有仁(みなもとのありひと)が、創始したといわれております。

そして、藤原氏の徳大寺・大炊御門の両家によって受け継がれ、それぞれ山科流、高倉流として、代々受け継がれております。

束帯には、「縫腋」、「闕腋」の二種類があります。

縫腋は、袍の両脇が縫ってあり、すそに襴(らん)がついております。文官ならびに三位以上の武官が、お召しになる衣装でした。

闕腋は、四位以下の武官のお召しになられる衣装でした。

また、帯剣は、武官だけであるが、文官であっても中務省の官人、納言、参議以上で勅許を得たいわゆる公卿には特に許されました。

体験所では、縫腋束帯の平緒、太刀をつけた姿の体験をしていただきます。 着付けの順序は次のようになります。

  1. 小袖を着て、しとうずという親指の分かれていないたびをはき、冠をつけます。
  2. 大口の袴を着けます。
  3. 表袴(うえのはかま)に足を通しますが、丈を見るだけです。
  4. 単を着て、表袴の紐を結びます。
  5. 下襲を着て、裾をつけ、裾の腰紐で、留めます。
  6. 袍をまとい、石帯で、腰を留めます。
  7. 平緒と、太刀をつけます。
  8. 桧扇・帖紙(たとう)を懐中して、右手に笏を持ちます。
  9. 沓をはきます。

新郎新婦が婚礼などに着たいと言われると、ご両親様が見分不相応ではと心配されます。 しかし、人生最高の時に、威儀を正した日本人として最高の衣装をお召しいただき、これからの人生をより良い、繁栄したものにするべく励んでいっていただきたいと願っております。束帯は、人生の門出にふさわしい最高の衣装だと思っております。